お盆を迎える前におじいちゃんに伝えたい言葉
先週のお休みは連休を取らせていただき、少しだけ夏休み。
実家に帰っていました。
用事は色々とあったのですが、ダブルおじいちゃんのお墓参りに行くことが出来ました。
お盆に休みを取るのがなかなか難しいので、お仏壇にお参りすることがあっても、お墓まではしばらく行けてませんでした。おじいちゃんごめんよ。
おじいちゃんに近況報告などをした後に、
「でも、きっといつも見てくれてるから知ってるよね?」と軽いつっこみも交えつつ、
反省も多い私は「ごめんね、こんな孫で。」という謝罪も含み、
図々しくも「家族の健康を見守ってください。」というお願いまでしてしまうのです。
おじいちゃん。
おじいちゃんと過ごした時間はとっても短い時間でした。
おじいちゃんの愛情表現が、幼い私にとって少し鬱陶しくて遠ざけてしまったこともありました。さみしい想いをさせてごめんなさい。
おばあちゃんは幼い私に厳しく、おじいちゃんが何も怒らず微笑んでくれていたのをいいことに、悪さばっかりしている所を見せてしまいました。調子に乗ってごめんなさい。
いつも会うたびにお絵かき帳をくれました。私が絵を描くことが大好きになったきっかけは、おじいちゃんの影響かもしれません。ありがとうございます。
おじいちゃんの一周忌に私は交通事故に遭いました。車にはねられ宙を舞いボンネットに落下して道路に落ちるまでの時間、走馬燈を見ました。それでも助かったのはおじいちゃんが守ってくれたんだと今も信じています。ありがとうございます。
思い浮かべると笑顔ばかりが浮かびます。沢山の優しさで包んでくれていたんですね。
どうしよう。悲しい日記を書くつもりじゃなかったのに、思い出すととめどなく涙が流れてきます。
思えば、人の死という物に初めて向き合ったのがおじいちゃんでした。
最期に触れた時。少し黄色くなった肌はツルツルでした。
もう目を開けてくれないなんて実感もわかないまま、身体をふきました。
眠っている表情はとても穏やかで、仏様になったのだなと幼いながらに感じました。
少しずつ少しずつ固く、冷たくなっていき、あっという間に物凄く小さな灰に変わっていました。
2人の大好きなおじいちゃん。もう会うことが出来ません。
おじいちゃんからもらった優しさを、これからどれだけの人に与えることが出来るだろう?
私はそんな優しさを持っているのでしょうか?
おじいちゃん。改めて大事なことに気付かせてくれて、思い出させてくれて、ありがとうございます。
有意義な夏休みでした。