とよとみタイム
こんにちは、佐古です(*^ー^)/
今日は私のアトピーについてちょっとお話ししたいと思います。
私は小さな頃はアトピーではなく、また家族や親類にアトピーの人もいません。
24~25才ぐらいの時に精神的ショックで、体重が40kgを切ってしまった事があるのですが、
それ以来ひどい乾燥肌になってしまい、表面的には何も症状がないのに痒みが強い状態が続いていました。
20代後半になり、ところどころ湿疹が出るようになって、何の知識もないまま出された薬を塗り、
またそれが良く効いたものであまり気にはしていませんでした。
30才を過ぎ、少し湿疹の範囲があちこちに広がり、
薬を塗れば良くなるのですが、またさらにひどくなって同じ場所から湿疹があらわれるようになりました。
それでもまだその時の私はこの症状を『警告』と受け止めることはできず逆に、
『もう30才になったのだから、一人で生きていけるぐらいの収入を稼がなくちゃ』
と身体に負担のかかる夜勤のお仕事をしてしまい、
それを引き金にアトピーは一気に噴火してしまいました。
お仕事を辞めざるを得なくなって、
休養しては再就職 → また悪化して退職 → 休養しては再就職 → また悪化して退職 ・・・・
この負のスパイラルから抜け出せなくなってしまいました。
30代後半になって、 『やっぱり薬をやめるしかないかな』 と脱ステロイドに踏み切りました。
経験された方はおわかりいただけると思うのですが、
脱ステロイドは並み大抵の覚悟で耐えられるものではありません。
私の場合は、バルーンフェイスに始まり手足も曲がらないぐらいにパンパンに腫れて、
体中にピンク色の世界地図が出来上がりました。
その後、あちこちの皮膚が剥離して、朝起きた時には、
『ここは砂漠?』
というジャリジャリ感で目が覚める。
真水の痛みに叫びたい気持ちを我慢してお風呂に入れば、
垢のように剥離した皮膚がお風呂一面にビッシリ浮かぶ。
しまいには剥離する皮膚もなくなり、顔は上半分、肩や手の甲などは皮膚が無い状態で、
常に浸出液がたれている状態でした。
この時私はショールームのお仕事をしていて、
本来ならとても接客業など出来る状態ではなかったのに、
ここでまた職を失うのはもういやだと意固地になっていました。
会社側からは、
『辛かったら休んでもいいんだよ』
と配慮して頂いていたのですが、一日二日休んだからと言って良くなる病気ではないので、
一日でも休んでしまったら、もう心が折れてしまって二度と出勤できなくなりそうで休めませんでした。
結果、職場から、
『長い人生、少しぐらい休んだっていいじゃない? 今はしっかりと病気を治して次に備えるべきだ』
と退職を勧められていしまいました。
最初は “肩をたたかれたんだ” と思ってショックだったのですが、
今思えば、あのまま続けていたら倒れていたかもしれないし、
そうなったら本当に迷惑をかけていたと思う。
気を張っていたから気がつかなかったんでしょう、
思い切って仕事をやめたとたん、起き上がれないほどのだるさに襲われしばらく寝込んでしまいました。
体毛や眉毛は抜け落ちて、髪の毛は1日200本以上抜けていました。
あちこちのリンパ節はじゃがいもの根っこのようにゴロゴロできるわ、帯状疱疹にはなるわで、
病院に行くと私の白血球の数値は10000を越え、他の数値もめちゃくちゃでした。
ちょっと気分の良い時に図書館で本をどっさり借りてくるのが唯一のお出かけでした。
『アトピー』と検索して出てきた本を片っ端から借りて、その中の一冊、
安藤直子さん著 “アトピー性皮膚炎 患者1000人の証言”の中に、
ここの豊富温泉のことが記されており、
それが私がここの温泉を知ったきっかけになりました。
“これは効くかも”
早速宿の予約を取りました。
温泉だから副作用はないだろうし、もし効果がなくても3週間のんびりして帰ればいいやぐらいに思っていたのですが、
とんでもない!!
3日で顔の皮膚は一枚はがれ、一週間位経った頃には紫色だった皮膚が肌色に戻り、
帰る頃には眉毛や体毛もうっすら生えてきました☆
初めての湯治からまだ2カ月くらいしか経過していませんが、
今のところ良い状態をキープできているように思います。
(もちろん1ヶ月半豊富を離れた時には温泉に入れなくて白く粉を吹いたように乾燥はしていましたが)
温泉の効果も然ることながら、ここで出会った湯治仲間と語り合ったり、
地元の人の温かいホスピタリティに癒されたりと、
この 『とよとみタイム』 を満喫した事が、病気が快癒した一番の理由なのではないかと思っています。