10年経ちました
こんにちは
ぽっけの海老原です。
3.11から10年経ちました。
この日に地元仙台に居ない年は今年が初です。
みなさまにお伝えしたい思いがあるため、ミライノトウジ内で綴らせてもらうことにしました。
※本記事は個人の体験談を含みます。
震災時、私は県のとある施設で勤務中でした。
数日前から緊急地震速報の誤報がたびたびあり、今回も誤報だろうと思いかけた瞬間
建物ごと突き上げられるような揺れにおそわれ、
立っていられず壁にもたれかかりました。
そしてすぐに停電。同時に非常灯が点きました。
天井からは蛍光灯やら破片やらが落ちてきました。
室内がゆがんで見えました。足がすくみました。
避難誘導をする立場だったため、訓練どおり付近のスタッフとともに
懐中電灯を使い誘導を開始しました。大きい余震が続くなか。
施設が丈夫な造りだったおかげで、その場に居た人に大けがをした人はいませんでした。
集まった人々はまだ信じられないといった様子。もちろん私も。
誰かのラジオの音が聞こえてきました。
雪が降ってきました。上着を着ないで中庭に避難したため、かじかみました。
ふるえていたのは、不安と寒さと両方からくるものでした。
遠くでサイレンが鳴っていました。
「家族は大丈夫だろうか?」
雪のなか、家まで徒歩で帰りました。自分だけでなく多くの人がそうでした。
それぞれの家族の安否を多くの人が想っていました。ケータイはしばらく繋がりませんでした。
家に着いた頃、すでに暗くなっていました。
その夜やっと家族の無事を確認できました。
原発事故のことや周囲で起きている事の深刻さを知ったのは、翌日の朝でした。
ライフラインのすべてが止まったままです。
私の居た場所は、電気は比較的早く復旧しましたが、水道・ガスは2か月止まっていました。
あたりまえのことがあたりまえではなかったことに気付かされました。
間もなく全国からさまざまな支援がありました。
私が今回一番お伝えしたかったことは、
名前も知らないだれかが、送ってくださった食料や物資や、復旧のためのボランティア、あたたかい言葉・・・
どれもちゃんと届きましたよ!ほんとうにありがとう!
という感謝の気持ちです。
泥の掻き出し作業のため、石巻に何度も通いました。
その都度、他県ナンバーの車をたくさん見ました。
ボランティアステーションの専修大学の駐車場にはたくさんのテントが張られていました。
物理的にも助けられ、精神的にも応援されている気がしました。
書きながら思い出して目がうるんできます。
10年を前に、東北では先月も大きな余震がありました。
感謝のほかにもうひとつお伝えしたいのは、
「備え」は大事ということです。
懐中電灯などの物の備えと、避難時などの行動の備えです。
私より防災意識のある母の教えで、
風呂の残り湯はすぐに捨てずにいたのですが、正解でした。
残り湯は震災時、トイレを流す際に使うことができました。
毎日のことなので思った以上に使います。
飲み水も備えていた分が切れる前に、給水車が来てくれるようになりました。
自宅の蛇口から水が出るようになったときは、感動しました。
これもきっと、各地からの応援がきてくれていなかったら
水道の復旧はもっと遅いものだっただろうと思います。
みなさまの学校や職場では年に一度は避難訓練が行われていると思います。
ぽっけでも近いうちに避難訓練が行われる予定です。
ご家庭でもいま一度、ご家族と話し合い、見直しをされてみてはいかがでしょうか?
けっして明るい記事ではありませんでしたが、
あのときの感謝を伝えたく、この場をお借りしました。
長い文章をさいごまで読んでいただきありがとうございました。