宮沢賢治の世界。
こんにちは!ヨガインストラクターのまなみんですV(^_^)V
先日。
豊富町定住支援センターにて、「宮沢賢治の世界」という朗読会が開催されました。
これは、北海道立文学館の企画で、出前講座として今回、豊富町に来ていただいたというモノです。
私は去年、この朗読会を中川町という、豊富町から1時間ほど離れた町にて聴きました。
とてもとても素晴らしくて、ぜひこの素晴らしい朗読会を豊富町の皆さんと一緒に聴けたら!と思っていましたが、今回、豊富町教育委員会の職員さんや図書室のスタッフさんのご尽力により、実現しました!
なんて幸せなコト〜
午後2時開演。
たくさんのヒトが集まっていました。
湯治で豊富温泉を訪れている方の顔もあちこちに。
たまたま湯治に訪れた時期に開催されるイベント、一期一会の出会いです。
村井さんの朗読は素晴らしく、あらさんの奏でるカンテレの音色は、底なしにやさしくて。
音と声によって表現された、宮沢賢治さんの想い。
たった37年という短い人生の中、「世界が全体の幸福」を探求し続けた賢治さんが、未来を生きる私たちに伝えかったコトって、何やろう。
存命の頃には社会的な評価を受けず、死後になってから広がった、宮沢賢治さんの作品の数々。
アメニモマケズカゼニモマケズ。
この有名な作品が、病床において手帳にメモ書きされたモノであるコトは、あまり知られてはいないのではないか。
世界が全体幸福でなければ、個人の幸福はあり得ない。
私は昔々、何気なく宮沢賢治さんの作品に惹かれて読んでいたけれど、決して分かりやすいモノではないです。
ほぼ未完成な作品ばかりで、「未完成で完成」と言った賢治さんの世界観が、分かるようでよく分からず。
そして、「ヨガ」にも出会って学び深めるうち、表現が違うだけでヨガと同じなんだなと、後々分かったコトです。
アメニモマケズカゼニモマケズ〜を聴くと、意味もなく惹かれるのは、ココロの深い部分から生まれたモノが、今を生きる私たちの、ココロの深い部分を触るからなのかな、と思います。
みんなにでくのぼうと呼ばれ、褒められもせず苦にもされず、そういう者に私はなりたい。
「でくのぼう」と言えば、「あやつり人形」という意味です。
賢治さんが探求した、でくのぼうという生き方。
今は少し、それが分かるような気がします。
素晴らしい出会い、時間に、感謝感謝でした!