名物女将が語る、豊富温泉の今昔。
スペシャルゲスト紹介
川島幸枝 川島旅館二代目女将
豊富温泉と同じ大正14年生まれ(
いまだに夜は晩酌を欠かさない、
ぽつぽつと語られる歴史や思い出話を三代目女将が代筆しております。
若「来年で母さん(大女将)も温泉も90歳だねぇ」
大女将「温泉が出てこの辺一体をちゃんとしたのは中田鶴吉さんて人なの。
もと道議会議員だったんだけど、信仰心がものすごくあった人で弘法大師堂(現在は雪あかりの会場にも使われています。)に天塩から豊富温泉の道すがらまつってあった石碑を集めたりね。
お山には三十三の観音様ね。
6番目が川島旅館のなの。川島末吉さんの名前で。
末吉さんは(豊富)町の木工場で働いてたんだけど『お湯が出たから俺が旅館やる』って来たんだって。
私の母親は8歳だった私を連れてお嫁に入って。(初代女将は川島清美さん)もう看護婦みたいなもんだったんだから。」
「昔は今と違ってアトピーとかそんなのなかったから火傷の人が来るでしょ。
最初は旅館にはお風呂無かったから、その火傷の人を元湯館(現ふれあいセンター)まで連れていってドボンと入れてあげるの。
ひどい人はジュクジュクになってるけどそれでも入れてあがったら、お湯でやわらかくしたキャベツの葉を巻いてあげてね。キャベツの葉っぱは熱をとってくれるの。母はこういうお客さんのめんどうを本当によく見てあげるのが上手だった。私はお客さんと飲んで遊ぶことばっかり上手だったんだけどね(笑)」
「これからは若い人たちの時代なんだからやりたいことをどんどんやりなさい。ね。」